絆という言葉はね、
頭に描くというか、
いや、描く必要さえない、
無意識に感じとる言葉(状態)、
だと思うの、
ものを書いてなんぼの、
商売をしているので、
小説や、エッセイに絆という言葉を、
ときどき、使う、
でも、いつもこんなところで使ったら、
絆が泣くのではないか、
と羞恥の思いに駆られた、
絆という言葉を使わずに、
その状態を表現し、
読者が無意識に心で、
絆を感じとってくれたら、
もう何もいうことはない、
でも、筆力不足で、
あっさり絆を使い、
忸怩とした心地になる、
そんな僕にとって、
去年の絆の氾濫は、
待てよ、違うんじゃないの、
と目や、耳を覆いたくなる、
ことがあった、
絆という言葉が、
多用されればされるほど、
絆という言葉の深い意味が、
薄らぎ安っぽくなっていく、
絆が流行語になること自体、
世の中がおかしいと思う、
本来の絆がどんどん遠ざかる、
居酒屋や、カフェで安易に、
絆を口にしている人は、
心中深くに誰かとの何かとの、
絆を蔵しているのだろうか、
音声や、文字の絆が、
石合戦の礫のように飛び交う、
状況の中で、
ついにその絆は、
去年の新語・流行語大賞に、
挙げられた、
その絆は何だろう、
読み聞かせ慰問先の避難所で、
足の不自由な高齢者を背負い、
屋外を歩かせずに散歩させていた、
若いボランティア男性と
立ち話をしたことがある、
「なぜここでボランティアを始めたの?」
「4つ5つの頃、
阪神大震災を経験したんです、
うちの家族はみな無事だったんですが、
避難所にしばらく入っていました」
そこへ若いお兄さんたちが、
ボランティアに現れて、
一緒に遊んでくれた、
肩車をしてくれたお兄さんが、
「元気に大きくなれよ、ほらー」
と、避難所の中を駆けてくれた、
そのときの嬉しさが忘れられない、
と彼は言った、
そうか、と僕は心でうなずいた、
そのとき、目には見えないが、
彼とボランティア青年は、
切っても切れない、
お互いの心の琴線で、
結ばれたのだ、と。
流行語としての絆が、
早く忘れ去られることを願う。
– 年が明けたから言わせて貰う、絆という言葉は流行語として相応しくないのではなかったか、 - カゲキ隊長のブログ - 楽天ブログ(Blog)








